2017年 ご挨拶
2017年 明けましておめでとうございます。今年も皆さまにとって実りの年になりますようお祈り申し上げます。
昨年は地域絵本講座、子育て支援、シニア支援、わかもの支援と活躍の場をいただけたこと、感謝しております。今年も更に〝気付き″の場を用意し、一人ひとりのエンパワメント力向上に邁進いたします。
年頭に深澤義旻氏の詩を贈ります。今年もよろしくお願いします。
「寝る前に絵本を1冊」のUluru代表 中村 文江
人間のうた 深澤 義旻(ふかざわ よしゆき)
「うそをつくな」と、おれはいわない。
大事なときに、うそをつかなければいいのだから。
大事なときとは、 自分を不幸にするかどうかというときだ。
「くそまじめにやれ」と、おれはいわない。
くそまじめにやって損をすることが多いからだ。
だけど、やらなければならないときは、
どんなにつらくても、苦しくても、やりぬかなければならない。
それは、自分をだめにするかどうかというときだ。
「けんかをするな」とおれはいわない。
つまらないことでしなければいいのだから。
つまらないけんかとは、 みにくい感情の剥きだしのことだ。
そこからは、なんにも生まれてはこないのだ。
だから、けんかは、つとめて避けるがいい。
だが、始めたら、 相手の息の根が止まるまで、
もしくは、 相手が完全に「まいった」と音を上げるまで、
やめてはならない。
なまはんか、相手に同情して、
手をゆるめたら反撃されて、こちらの負けだ。
「だれとでも仲よくしろ」と、おれはいわない。
ほんとうのなかまと、仲よくできればいいのだから。
ほんとうのなかまとは、 手をにぎりあい、肩を叩きあいながら、
自慢話をしあえる相手のことだ。
「いつも誰にでも素直でいろ」と、おれはいわない。
素直になるもならぬも、 それは相手によりけりだ。
言ってることはほんとうか。
それは、ほんとうによいことか、よくないことかを、
よくよく確かめてからにしたらいい。
たとえ、どんな相手でも、決して、 おそれず、ばかにしないでだ。
相手の目つき顔つき、ものの言いかたを、
おちついて、よく聞き、見ていれば、
たいがいピンとくるものだ。
人に対する無條件な素直さではなく、
真理に対する素直さをもつことだ。
「まちがいや失敗をするな」と、おれはいわない。
大事なことをまちがえなければいいのだから。
大事なことで失敗しなければいいのだから。
まちがいや失敗をおそれてはならない。
おれがいう大事なこととは、
二度と立ち上がれなくなるかどうかということだ。
意思と体力で支えきれなくなるかどうかというときだ。
他のまちがいや失敗は、 星の数ほどあったにしても、
少しもこわがることはない。
まちがいや失敗から正しく学んでいくかぎり、
自分を高めていけるからだ。
まちがいや失敗を一つもしない人間は、
結局、なんにもしなかったやつなのだ。
口先だけで、何にもできなかったやつなのだ。
「いつも正しくあれ」と、おれはいわない。
神様にも動物にもなれるのが人間だから。
正しく美しいものに感動しながら、
悪いことをまねるのも人間だから。
喜びと悲しみを同時に受けとめることができるのも人間だから。
いつ、どんなときにも、
うんと喰って、うんとたれて、うんと眠るがいい。
獣の眠りのように眠るがいい。
そして、また、力を合わせて働こう。
「親に心配かけるな」と、おれはいわない。
心と體が丈夫なやつほど、何かをしなければいられないやつなのだ。
そうであるかぎり、何か、どこかで、
親に心配かけるにちがいないからだ。
親を喰らいつくして 思いっきり勇ましく生きてゆけ。
幸せは祈って待ってるものじゃない。
戦いとっていくものだ。
自分の弱さや醜さと戦いながら、 目的と目標をしっかり決めて、
それに向かって突進していくときに得られるものだ。
それが自分を大切にすることだ。
自分を大切にすることをためらうな。
自分を大切にできないでいて、
どうして、人を大切にできようか。
自分を大切にすることが、同時に、
人を大切にすることになる生き方を、
なんとしてでも、見つけだし、つくり出さねばならぬのだ。
それは、人間にだけできるのだ。
それが、人間の権利であり、義務なのだ。
そのように生きていったとき、 おれたちのまわりにも、
人間らしい人間がいることに きっと気づいていくはずだ。
ほんとうのなかまもできるのだ。
そのことが、そうして生きていくことが、
どれほど苦しく悲しく切なくても、
自分の意志で選んだ道を、
もうひき返さないぞと覚悟して、
歩み続けていくならば、
悲しみも、苦しみも、怒りも、
人間の誇りにかえていけるのだ。
雨が降っても、 曇っていても、
見ろ、
雲の上には、太陽がある。