ジョン・マン
中高大生 約15名が「ジョン万次郎」に取り組んでいる。
高知県 宇佐浦から漁に出、漂流。アメリカの捕鯨船 ホイット・フィールド船長に助けられ、アメリカでの生活を体験し、万次郎自身が働き稼いだお金で日本に帰国する。
日本は鎖国時代。この時期に日本に戻ることさえも難しい時代。しかし、万次郎の堂々とした態度と、奉行所の役人さえも引き込まれていく異文化の報告。
漂流して11年目に会う母子。
11年の歳月を万次郎は前向きに、好奇心と努力で生き抜いた。ホイット・フィールド船長や周りの環境にももちろん恵まれていた。
愛される性格を万次郎は持っていたのだろう。「やってみるか?」と問われたら、何にでも挑戦していったのではないか。
アメリカは失敗を敗北とは考えない。失敗は挑戦した証拠、挑戦することに意味がある。
今の若者はどうだろう?
国際交流に引率してもTryする子は確実に愛される。そして、母国以外にもう一つの故郷が生まれる。
挑戦する子を育てるためにはどうすればいいのか?
小さい時は親の愛情をたっぷり受け、徐々に子どもの責任や選択が増えていく。どこのタイミングで?どこまで?このさじ加減が難しくもあり、子育てには重要なことなのだろう。
万次郎が日本に帰るまで、肌身離さず持っていたのは母からもらった半纏だった。